中津新聞

2019.01.29

闘牛の島から来た「ロックな」料理人|イタリアンシェフ・西村 禎泰さん

これまで、昭和の中津と人生を共にしてきた地元の方を取材してきた“中津新聞”ですが、本稿はちょっと違います。今回のインタビューは3年前に中津で店を開いた“中津イタリアバールCiccio(チッチョ)”のシェフ、西村禎泰さんです。若干29歳にして個人経営を営むに至った波乱万丈でユニークな人生とは・・・?

【なぜイタリア料理を?】

阪急中津駅から徒歩2分、中津商店街の入り口近くに可愛らしい小さな看板が掛かったお店が見えてきました。こちらが今回の取材先である“中津イタリアバールCiccio(チッチョ)”です。



店内に入ると煙がもわっとたちこめ、なんだっ!?と思っていると、――「いらっしゃい!ごめん!いま仕込みしとるから座っといて!」――どうやら仕込みをしていたようです。なるほど。出会って1秒で気さくな人柄が伝わってきました。お先にビールをいただき、談笑しつつ店内を見渡していると、ふと違和感を感じます。机の上、壁の様子をもう一度良く見ているとおや、と気付きました。どこを探しても飲食店には欠かせないはずのメニューがありません。仕込みだからまだ仕舞っているのかなと思い尋ねてみると、これは西村さんの料理人としての強いこだわりからくる一流のおもてなしでした。

これから西村さんの人生を紐解いていき、そのこだわりの源流を明らかにしていきます。



西村さんは1989年鹿児島県の徳之島で生まれました。徳之島とは鹿児島県から南に向かって4番目にあたる奄美群島に属する離島の1つです。徳之島では大衆文化として闘牛が親しまれており、ご本人曰くバクチ大国(!?)としても有名だそうです。情報が入りにくい離島にいながらなぜイタリア料理を志すに至ったのか。それは西村さんの父と、なんとサッカーワールドカップが関係しています。

西村さんの父は、もともと大阪府や山口県でフレンチの料理長をしていたそうです。その後、徳之島に渡ってからは、現在に至るまで地元住民さんに色々な種類の料理を振舞っています。そんな父の背中を見て育った西村さんですが、はじめから料理人を目指していたわけではありませんでした。

中学生のころはテレビドラマ「GOOD LUCK!」に影響を受けて航空機の整備士を目指していたそうです。ところが、サッカーワールドカップでのイタリアの活躍を見た西村少年は、そのかっこよさに衝撃を受けました。しかし、現実的な西村少年は、「サッカー選手で食ってくのは無理やろ。」と考え、「でもイタリアンのシェフならなれるやろ。親父も料理人やし。ピザとパスタもうまいし!」と考えたのだとか。うーん、思い切りがすごいですね。

【破天荒な愛されキャラが呼び込む「縁」】

大学も無く働き先も少ない徳之島では、高校を卒業すると島を出るのが当たり前だそうです。西村さんも例に漏れず、高校を卒業後、島を出て兵庫県芦屋市に住む祖母のもとに引越しました。

それから、イタリアンレストランで修行を、と思いきや、最初は祖母が見つけてくれたお好み焼き屋さんのアルバイトをしていました。そこの仲間にタウンワークの存在を教えてもらい、やっとのことこぎつけた最初の面接が、あの神戸北野ホテルが新しくオープンするレストランでした。しかも、本当はホールの募集だったところを統括マネージャーに気に入られ、キッチンのアルバイトで雇ってもらうことに。このお店を皮切りに、西村さんのイタリアンへの道が人の縁で繋がっていきます。

そのお店を辞めた後、統括マネージャーの紹介で神戸六甲アイランドのイタリアンにアルバイトで採用されました。このときのお店が厨房を3人で回していたため人手が足りず、西村さんが料理を覚えないと仕事が回らない状況でした。幸運にもここで基本を学ぶことができたそうです。

自信をつけた西村さんは、1人でキッチン回せますよ!という新規オープンのお店に転職しました。しかし、作れる料理のレパートリーが少なく、思うようにいかないことで自分の力不足に気付きました。そのときタイミングよく神戸北野ホテルの統括マネージャーから、リニューアルして人を募集するお店があるから誰かいないか?という相談を受け、そのお店に転職しました。その後も人の縁でお店を紹介してもらいながら、料理人としての技術と経営者としての知識と経験を積むことができたそうです。

――「途中イタリアに行く誘いもあったんすけど、行かなかったことが僕に対してちょっと良かったかなと思ってるとこです。今いっぱい色々知って行くのと、なんも知らんと行ってこれが正解やとおもったら絶対曲げへんでしょ。日本人が思う、イタリア人が作っているからうまい!というのは先入観すね。」――




【居心地を追求するメニューの無いお店】

西村さんは中津に店を出す前に、梅田のバーで料理人をしていました。はじめての繁華街での仕事。しかし、西村さんは二度と繁華街で働きたくないと思うほどの衝撃を受けます。

――「どんだけがんばって手打ち麺やろうが前菜仕込もうが何やろうが、価値に気付いてくれない人がめちゃくちゃ多いんすよ。いっぱい店があってとりあえず入ろうかで入って飯食って、これがこの値段するのは、美味しいのか安いのか高いのか分かんないんすよ。何のために働いているのかわけ分からんくなるでしょ。」――

西村さんの料理と空間が提供する価値は、繁華街というフィールドには合いませんでした。そして、次こそは自分のお店を持ち自分で経営したいと決心し、中津で良物件を見つけて3年前の26歳のときにオープンしたのがこのCiccioです。



西村さんは“お店の居心地をお客さんと一緒につくる”ことを何よりも重要視しています。たとえば、常連さんが食事とワインを楽しんでいるときに、焼酎だけ頼んでくるようなお客さんが入ってくると、どうなるでしょうか。Ciccioはカウンターメインの小さなお店なので、楽しみ方を共有できる人が多いほど盛り上がります。だからこそ同席する人の質が重要となり、ある意味お客さんを選ぶことが必要になります。メニューを作らないのは、価値観が合わないお客さんを事前に遠ざけることも目的のひとつです。はじめはメニューを手書きで作成していたそうですが、常連さんは口をそろえて、今日何がオススメなん?と聞いてきます。――「それってメニューいる?笑」――ということでメニューの作成をやめたそうです。



また、メニューを無くすことで別の利点も見つかりました。1つは、旬を活かしたオススメ料理をお客さんに提供できること。もう1つは、お客さんと対話しながら注文を決めていくことで、一人ひとりの味覚やワインのセンスを把握したり、新しいチャレンジを提供できることです。そんな接客をしているからか、常連さんは西村さんのことを親しみを込めてマスターと呼んでいます。ちょっとした毒舌を混ぜながらその場に合わせて話題を提供したり、お客さん同士が仲良くなれる空気を作ったりする姿は、まさに居心地の良いバーのマスターそのものでした。

――「カッチカチのレストランで無理してスパークリング頼んで喋りたい事も喋れんよりも、飯ってさ、家族とかでもその日あった出来事とかをトークメインで食べて、ご飯が美味しかったらなお幸せなんすよ。居心地を作るのは、僕も作っていかなあかんけどお客さんが作る必要性もあるから。まず喋りで緊張感を解いてここ落ち着けるなって思えたら食べたいものも言えるじゃないっすか。」――



もし中津ディグストリート沿いがこれからの中津の盛り上がりにあわせて急速に発展し、飲食店が増えていくと、Ciccioにはこれまで以上に様々なタイプの人が訪れるようになります。西村さんとCiccioはそんな中津の洪水のような変化に対し、どうなっていくのでしょうか。

――「なんとかなるっしょ!わははは!」――

そう笑う闘牛の島からきたロックな料理人に、今日も常連さんが集ってきます。

 

中津イタリアバール Ciccio
住所:大阪府大阪市北区中津3-17-5
営業時間:[火〜日] 17:30~23:00(L.O)

文/岩宗 勇希(中津新聞)


 

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