中津新聞

2018.12.18

商店街を見守る中津の「お母さん」|駄菓子屋店主・福本 道子さん


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中津新聞ではさまざまな形で中津に関わる人々をご紹介しています。今回のインタビューは、1959年の開店以来60年近くの間「丸繁商店」の店主としてこの商店街と人生を共にしてきた福本 道子さんです。

【丸繁商店の原点】

朝10時すぎに開店準備を始めると、駄菓子屋「丸繁商店」には次々と多様なお客さんが立ち寄ります。

小さなお子さんとお菓子をじっくり選ぶ家族連れ、お気に入りのお菓子を買いに来た、ザ・大阪なおっちゃん。丸繁商店のお客さんには地元の子どもたちは勿論、古くからおつきあいのある方も多く居らっしゃいます。「テレビで見た」と、神戸や堺などの遠方からはるばるくじ付きのお菓子を買いやってくる人も。

最も賑わっていた頃は、この商店街のみで生活に必要なもの全てが揃ったそうです。乾物屋、お茶屋、寿司屋、肉屋、八百屋など全部で54軒の店があり、お菓子屋さんだけでも7軒。ガラガラのくじ引きもやっていて、それは賑やかな様子だったそうです。店先で立ち話をしたり、ベビーカーを持ち込むことなど不可能なほどの人通りで、まるで「造幣局の通り抜け」のようだったと振り返ります。

福本さんは、そんな中津に淡路島から伯母さんの養子になる形で移住してきました。このお店も伯母さんの持ち物で、当時この商店街で3つのお店を持っていたそうです。現在の丸繁商店の陳列台には、この当時から使われているものもあります。かつて、同じ商店街で果物屋さんを営んでいたお兄さんが使っていた陳列台も。使い始めて50~60年という陳列台の耐久性にも、当時から変わらない陳列スタイルにも驚きです。ところ狭しと並べられた多種多様なお菓子も、配置場所と値段をすべて把握されていて、忙しい当時の商店街の様子が目に浮かぶようです。



【中津商店街の「お母さん」】

インタビューしている間も、お店に立ち寄る方、通りすぎる方、古い馴染みのお客さんから外国人まで、丸繁商店に現れる全ての人々に「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえり」と挨拶する様子がとても印象的でした。

多くの人が、朝のニュースや福本さんの愛猫「はなちゃん」の様子など、他愛の無い会話を交わしていきます。こんな日常のやりとりを通して、商店街を訪れる人とは皆顔見知り。健康状態まで把握しています。街の人が「あの人どうしてるかな?」という情報を得たいときは、福本さんに聞きに来るほどです。

私たちが滞在したのはほんの1時間程度でしたが、福本さんが長い間、この商店街とそこに訪れる人々を温かくおおらかに迎え、見守ってきたことがひしひしと伝わってきました。誰よりも「中津商店街歴」の長そうなお店と福本さんは、訪れると安心する、心の拠り所のようなものなのかも知れません。誰とでも自然体で会話する姿は、街の「お母さん」のようでとても神々しく見えました。

【「開いている」ことが大切】

商店街で物が揃わなくなった現在は、となりの大淀のスーパーまで買い物に行ったり、外食なら阪急梅田の方面まで出て行くようになったそうです。商店街の空き店舗は売りに出されているものの、なかなか新しいお店が入りません。そんな中でもこの場所に新しく移ってくる若い人は居て、中にはきちんと商店街の会合にも顔を出したり、挨拶に来る人もいるそうです。中津の住人たちの人柄は温かく、新しく来る人たちを歓迎していると福本さんは言います。

今でも、レトロな街の雰囲気を楽しみに、時々40~50人もの大勢の人が訪れて賑わうことがありますが、それは毎日のことではありません。

外から中の様子がわからない「閉じている店」では場をにぎわすことが出来ない、と福本さんは言います。かつての中津商店街のように、人に向かって「開いた店」が重要だと。この丸繁商店も、かつてご主人に「毎日陳列の準備が大変そうだから、シャッターを開けただけで店を開けるようにしたら?」と勧められたこともあったそうです。それでも福本さんは、昔からのスタイルを続けています。

古くからある陳列台を使った通路に染み出すようなお店のスタイルは、商店街を通る人々をワクワクさせ、思わずお店の人に話しかけてみたくなるような、そんな効果があったのです。昔の写真を見てみると、多くのお店がこのスタイルでした。この面の広がりが人々を立ち止まらせ、会話を生むつくりになっている。開いた店とはこういうことか!と目から鱗でした。

昭和の頃に新設した商店街のアーケードは、ついに経年劣化でボロボロになり、もうじきこの幌を撤去の予定です。正午が近づき、日が高くなると破れた幌の隙間から木漏れ日のように日光が差し込んできます。

今後の姿はどうあれ、中津商店街の中でひときわ目立つ、賑やかな陳列台とその周りにできた小さな人溜まり。このような温かみを感じられる場所が、ここにずっとあって欲しい、そして新たな形で再び人々が集える場所が増えていって欲しいと思いました。

次回は、「こだわり豆腐工房 味八喜多(みやきた)」 宮北さんをご紹介します!

 

文/中谷 美紗子(中津新聞)





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