中津新聞

2018.12.12

自称、引っ込み思案の「変なおっさん」|和菓子職人・小田 晶史さん


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DIG NAKATSUから誕生した中津を深掘るメディア「中津新聞」。記念すべき第1回目のインタビューは、69年間、中津商店街を見守ってきた和菓子屋「広喜堂」(中津三丁目・中津商店街)のご主人、小田 晶史さんです。

【小田さんとの出会い】

2018年11月23日に開催したイベント「DIG NAKATSU」を実施するにあたり、中津商店街の会長としてご紹介いただいたのが小田さんでした。実際にお会いしてみると和菓子職人で御年69歳、しかも商店街の会長、という情報から思い描いていたのとはある意味真逆。アウトローでまだまだ少年のようなところもあり、ネットやパソコンにも詳しい、好奇心旺盛な方です。

この日のインタビュー場所はイベントの会場にも使っていた「クリエイティブクォーター中津」。ご自身のお店ではなく、この場所を指定されたのは、中津に関する取り組みを店の中から見るだけではなく、私たちのホームに踏み込んでよく知りたい、という気持ちがあったからだそうです。



【和菓子を通じて得たもの】

和菓子職人というと専門学校に通ったり、どこかのお店で修行したり、というイメージですが、小田さんは違ったそうです。小さな頃から父親の仕事を見て興味を持ち、幼稚園の頃から自分用の鏡餅を作ったりしていたのだとか。母親の期待で進学校に行くも勉強に興味を持たず、遊んでばかりいた、という小田さん。中学卒業後、洋菓子の道に進んだのち父親の後を継ぎました。

父親の見よう見まねと独学で和菓子職人としての道を歩み始めたという小田さんですが、どこかで正当な道を歩んでいないことに後ろめたさを感じていたそうです。そんな気持ちに変化があったのは、ある日、飛び込みで相談に来た中津小学校の先生の依頼で「和菓子教室」を始めてから。

和菓子の材料の産地(=地理)、日本人の季節の捉え方や表現(=二十四節気など)、季節を象徴する植物や自然のことなどを子どもだからと手加減することなく真摯に伝えながら、和菓子作りの実演も行う和菓子教室。そこには日本の伝統や日本人のアイデンティティに対する誇りも感じられて、大人にとっても大変魅力的な内容でした。ここ3年は以下のようなパワーポイントを使って説明されているそうです(一部抜粋)。

この和菓子教室を始めた頃から、自分はこれでいいんだ、と思えるようになったそうです。今から別の人間になるわけにもいかないし、「60(歳)超えたらラクになるで!」と笑顔で話す小田さん。

和菓子作りは、単なるおいしいお菓子作りだけではなく、季節や風景を表現するもの。そこには伝統的な形式や手法があります。しかし、「名札は残してるけど作品をちゃんと記録してへんから、おんなじものが作られへんこともあるねん。」と言いつつ、新しい名前や季節の表現にチャレンジし続ける小田さんに、伝統を受け継ぐのとは別のアートな魅力を感じました。

型を使うとつめたい感じがする、と多くのお菓子は手作りの道具を使って作られています。将来はお店の隣にお茶やお菓子を楽しめる交流の場を作りたい、という夢も。

和菓子職人として子どもたちに日本の伝統を伝える顔、20年前からWEBサイトを立ち上げていたITマニアの顔、中津商店街会長としての顔。ここで改めて職業をお伺いすると、「変なおっさんや!」と笑う小田さん。和菓子を買いに来たお客さんに「今日みたいにいろんな話を1時間くらいしてしまう。」のだそうです。

【中津の歴史を踏まえてスケールアップしてほしい】

中津の象徴とも言える中津商店街がもっとも賑わっていたのは、1970年の大阪万博あたりだそうです。商店街が端から端まで人で埋まっていた時代から、自転車でラクラク通れてしまう現在までを身近に感じ続けた小田さん。かつて、商店街が静まり返るのはお正月だけでしたが、今では「毎日が正月、静かすぎて眠れへん」と言います。中津商店街に賑わいが戻って欲しい、現状維持ではなく変化を受け入れていかなければと常日頃考えられています。

広喜堂には大阪の古地図があり、大阪市内に昔たくさんの運河があったことがわかります。中津がどんな歴史のある街なのか調べている中で出会ったものだそうです。現在の中津は阪急電鉄、JRの線路をくぐるいくつもの高架に囲まれていて、そこには、古い地名が残されていたりします。もし、街を再構築するならそういった歴史を紐づけて行くことで深みが増すだろうし、この戦火を逃れた古い街並みを隔離して時代村のようにしても面白いかもしれない、というアイデアもいただきました。

今回のインタビューで中津の街だけでなくそこに住む人、一人ひとりに人生の物語があることを改めて感じました。小田さんに興味を持った方はぜひ、広喜堂を訪れてみて下さい。季節の和菓子がかわいくておいしいですよ!

次回は、同じく中津商店街の駄菓子屋さん「丸繁商店」店主の福本 道子さんをご紹介します。

文/山口 薫(中津新聞)


 

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